主治医からの電話

 夫が入院して4日目の8月30日、ようやく、5分だけの面会がかなった。

 

 当初の入院予定日には、夫の友人(私以外の身元引受人)と、遠方から駆けつけてくれた友人の三人で、病院に出かけた。

 しかし、コロナ禍の現在、予約なしということで、三人とも面会ができなかった。

 

 その日に予約できたのが、昨日(30日)の面会である。

 夫は、外見上はたいして変わりなかったが(最近、急速に痩せていたので)、新聞も読めなくなり、わざわざ運んだパソコンにも手をつけていないとのこと。

 

 コロナ感染予防のため、2メートル離れた距離で5分間の面談のみ(時間が来るとタイマーがなる)という制約があるため、手を握ることもできなかった。

 

     *     *     *

 

 今日夕方、主治医から電話があった。

 夫が、全身がだるくて眠れないので睡眠薬の処方を希望しているという。

 その同意を求める電話だった。

 

 次回の面接予定は9月2日。その日までに薬の加減を見て調整するので、面会時間には目覚めているようにできるとは思うが、本人の体調次第なので、との断りが入った。

 

 そしてとどめのひとこと。

 「次に私(主治医)から電話をするのは危篤になられた時です」と。

 

 看護師さんからは細々した電話が入るが、主治医が電話するのは、遠くないその日だという意味だ。

 

 覚悟せねば。

緊急入院からのバタバタ

 27日金曜日に入院するはずだった。しかし。

 前26日の夕方、病院から電話があった。入院事項の確認のために夫に電話をかけたが出ないという。

 容体が急変しているかもしれないので、とにかく様子を見てください。明日が厳しいなら今日中に入院してもらっても構いません、とのこと。

 

 私は日中ずっと、前日に買えなかった入院用品を揃えるために外出していた。たとえば入院中の寝巻き。レンタル用品を勧められたが、あの、物悲しい作務衣タイプのパジャマは着せたくなかった。週2回、5分といえども、私ともう一人の面会が可能なので、来てくれる友人のためにも、夫らしい格好をしていて欲しいからだ。

 

 夫は無印良品のファンなので、細々したもの(病院食をいただくためのカトラリー、スープカップ、タンブラー、タオル、などなど)は無印で購入。無印のパジャマは病人対応ではないので、ボタンを止める作業などが、いずれおぼつかなくなるだろう。なので、それは両方備え、夫が選べるようにした。

 

 驚いたが、夫は数時間見ないうちにまた痩せていた。

 私が、今夜の入院も可能だとの病院からの伝言を伝えると、一も二もなく入院すると言う。やはり、電話に出られないほど辛かったようだ。

 

 それから私と病院側とで相談。最終的に、私が救急車を呼んで病院まで運んでもらうことになった。

 

 重たい荷物は救急隊員さんが、そして病院についてからは若い看護師さんが運んでくれたので、助かった。

 

 種々様々な検査と手続きを終えて、夫が個室に運ばれたのが夜9時ごろ。

 翌朝には、身元引受人(私以外にもう1人必要だという)になってくれる友人が予定通り車で迎えに来てくれるので、今日運べなかったもの(パソコンなど)を車に積んで病院に向かう。

 

 帰宅してパソコンを見たら、夫の入院(27日の予定)を聞いた旧知の友人夫妻が、コロナ禍で面接禁止だと思うので、その前に会いたい、と、何度もメールをくれていた。

 緊急入院したので来てもらっても会えませんと返信したが、すでに新幹線の車中で、京都駅近くのホテルも予約済みだという。

 せっかくなので、一緒に病院に向かうことにした。

 当日の話は続きで。

入院決定

 今週火曜日の受診に付いてきてほしいと言われていた。入院日を決めるためである。私は漠然と、キリのいい9月1日かな、と想像していたのだが、夫は27日(金曜)を希望した。それほど身体のつらさが進行しているのだろう。

 

 前回受診した1週間前と比べると、夫の動作も頭の働きも、明らかに違っている(遅くなっている)。が、共通の知人からの電話によると、夫に会った当日と翌日とで、すでに「衰え」の進行を感じたという。身近な人間ほど客観的に把握できないのかもしれない。

 入院するのは、いわゆる「緩和ケア病棟」。平常時であれば、家族はいつでも病室に滞在できるし、入院者の好む料理を持参することも、簡単な調理もできる。

 が、新コロナ禍の今、面会(?)は週2回5分のみ。多分、洗濯物の交換や、様子伺いだけで、あっという間に過ぎるだろう。

 

 今日は1日、夫の入院準備に追われた。入院に必要な消耗品あれこれの準備のみならず、「限度額認定証」申請のために、役所に出向いた。この3月末まで働いていた夫は「現役並み所得者」として医療費は3割負担だったが、その中でも区分が3つに分かれており、自己負担限度額が下がる可能性があるのだとか。

 

 手続きはできたが、実際のところ、入院時に払うお金がいくらになるのかは不明。無料の個室に空きがないため、当分は、1日1万数千円の私費支払い個室に入ることになるからだ。

 

 スタッフさんは何気なく「だいたい、1週間から10日ぐらいで無料個室が空きますので」とさらりと言うが、それはすなわち、緩和ケア病棟に入院して亡くなるまでの日数がそれくらいということ??? 患者の前で口にするには相当シビアな内容だと思うのだが。

 

 公証人役場でも署名人になってくれた友人が、当日の朝、車で迎えにきてくれ、荷物ともども病院まで運んでくれて、身元引受人(2人必要)の1人として署名してくれることになっている。

 

 現在の病状、並びに、コロナ禍の影響で週末退院が認められていない今、夫が自宅に戻ることはほぼないだろう。

 

 辛いけれど、それが現実である。

 

 

 

 

 

 

 

 

進行あるのみか(悲)

 雑用に追われて更新が滞っている間に、夫の病状は粛々と(!)進行している。

 

 まず、食事量が極端に減った。夫の好物を選んで供しているが、「おいしいけれど食べられない」と残す。なおかつ先日には、「あと一口食べてとは言わないで」と、念を押された。

 

 外出時、私が階段を使わずにエレベーターやエスカレーターを使うと夫はバカにして笑っていたが、今はもう階段が辛いようで、楽な方を素直に選ぶ。

 

 夫の食欲が目に見えて細ったのを機に、辰巳芳子さんの「いのちのスープ」を作るようになった。コンソメとポタージュを作ってみたところ、ポタージュ(野菜類がとろとろに混ざっており、牛乳も使っている)はもう飲み込めないとのことで、今は野菜のコンソメのみ作っている。

 味見をするたびに、野菜だけでこんなにいい味が出るのかと、感心している。

 

 ただ、超お嬢様育ちである辰巳さんのように素材の産地まで特定するのは無理なので、可能な範囲でアレンジをしている。

 

 悩みといえば、スープに使った大量の野菜の使い道である。

 ジャガイモ、玉ねぎ、にんじん、セロリ(干し椎茸は苦手なので、あまり食べたくない。苦笑)。決して出がらしではなく、いい味なので、そのままポテトサラダにしてもおいしいのだが、なんせ量が多く(辰巳さんの主張によると、スープは大量に使ってこそいい味が出るというので、いちおうそれを守っている)、サラダだけでは消費できない。

 

 朝食時、パンの上に野菜類を乗せ、マヨネーズをかけてトーストにしたり、カレーの具材としてどさっと放り込んだり、カボチャを加えてサブジにしたり、etc.

 私1人で消費しなければならないので、3日目ぐらいには、菜っ葉が食べた〜い!  緑の野菜が食べた〜い! と、心で叫ぶことになる。

 自分に無理強いしては元も子もないので、嫌になったら捨ててもいいよと自分に言い聞かせているが、今日までのところ、好物の油っぽい料理(肉、野菜の天ぷらや炒め物など)を間に挟むことで、かろうじて、すべて消費できている。

 

 夫を見ていて気の毒なのは、楽な姿勢がないことだ。

 辛いときにはとりあえず横になる、という対処法が役に立たない。寝てもしんどさは軽減されないどころか、胸のむかつきを覚えるという。

 すでに消化器系統全般に支障が出ているので、食べ物を少しでも口にすると、食道の詰まった感があり、吐き気、胃の圧迫感等々が出てくるようで、辛そうである。

 ゲップが出たらちょっと楽になり、排便すればかなり楽になるそうだが、それがうまくいかない。そもそも食べる量が極端に少ないのでウンチもそう溜まるはずがないのだが、膨満感があるのだろう。

 

 夫はいま週に1回、緩和ケア病棟のある病院に通院している。そして、「来週は一緒に来て欲しい」との要望があった。入院について相談したいから、と。

 

 しばらく前、担当医から、今のうちに介護保険の申請をしておいた方がいいですよ、とのアドバイスをもらっていた。在宅で過ごす場合、認定のレベルによって受けられる援助があるからだ。

 

 手続きは私が行い、認定員さんの来訪にも立ち会った。

 その結果が数日前に届いた。「要介護2」との判断だった。

 

 コロナ禍さえなければ、夫はとうに入院を選んでいたことだろう。

 ただ現在は、入院すると、知人友人との面会がままならない。

 妻の私でさえ、1回5分の面会ができるかどうかという状況である。

 

 緊急事態宣言下の今、何が夫にとってより良い選択か。

 

 通常は入院生活を送り、知人友人と会う時には1泊2日で帰宅できるように介護ベッド他を申請するか。

 来週火曜日の通院では、その辺りを相談しようと考えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

病状が一段進行した?

 抗がん剤治療をやめた後、夫の食事量は、それなりに戻った。ただ、痛み止めの効用が次第に薄らいできたようで、最近では、服用回数を8時間に1回(1日3回)に増やしても、次の時間の前に痛みが復活して、普段の生活が送れなくなりつつあった。

 

 6月29日(火曜日)、夫が定期診療でそれを訴えたところ、従来の薬の3倍は作用が強いという薬を1日1回服用し、それでも痛い時には「とんぷく」薬を飲むよう指示されたという。

 

 それと同時に、私への「指示」もいくつかもらってきた。

 まず、次の(2週間後の)定期検診には同伴し、緩和ケア病棟への入院について協議すること。

 もう一つは、夫がまだふだん通りの暮らしができている今のうちに、介護保険の相談を行い、ケアマネさんを選定し、話し合っておくこと。

 

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 幸か不幸か、ケアマネさんとのやりとりは、遠距離在住だった実家の父親の晩年に経験しているので、多分スムーズに行えるはずだ。ただ父は、がんではなく、年齢相応の衰えに対する介護だったので、がん末期とは違いがあるだろう。

 

 つくづく思うのは、「死への準備」の期間があることのありがたさである。

 

 ここ数日、夫との会話では、酔っ払い運転の車にはねられて亡くなった小学生への哀悼、「危険な道」であることが過去の事故で明らかになっているにもかかわらず、適切な対応を怠っていた「関係者」への憤りだった。

 

 戦場ではなくとも、減らせるはずの理不尽な「死」があふれている。

 

 

 

 

ご挨拶(?)食事会

 夫は、抗がん剤治療をやめた。現在服用しているのは、膵臓の機能停止に伴う消化器官の不具合によって生じる痛みを緩和する薬だけである(日本語としての難あり)。

 

 仕事関係者や知人・友人のうち、どの人にどの順番で末期癌だとを伝えるのか。

 夫なりの判断基準があるようで、これまでに4度、そのような機会があった。

 

 夫が一目も二目も置く後輩と、その連れ合い(彼女も夫とは長い付き合いがあり、その関係で出会った男性と結婚した)。若い2人なので、夫の蔵書のうち、欲しいものを持って帰ってもらうことにしたようだ。

 

 2度目は、仕事仲間との集い。私は、夫の仕事領域には立ち入らないことにしているので、懇親会のみ、食べ物を持参して参加した。

 

 3度目は、公証人役場で夫の遺言書に署名をしてくれたお2人との、お礼を兼ねた食事会である。

 新型コロナが蔓延する前であれば、飲食店で一席を設ければよかったが、今はそうもいかない。なじみの店の好きな料理を予約してテイクアウトし、自宅で食事会を開いた。2人ともよく飲むおっさんなので(夫の友人ならそれは当然だ)、飲食店でのアルコール提供が禁止されている今は、自宅で飲み食いするしかない。

 

 4度目が今日。自宅に招いた女性は車でやってきたので、彼女のみアルコール抜きのランチになった。かつてはお酒を飲んでいた人なので、自分でノンアルのビール缶をいくつも持ってきていて、笑った。私も同じものを用意していたので、発想が一致したね〜と、大笑い。

 

 夫に食欲があり、お酒もそれなりに飲めるであろう今。この期間に会った方がいいと思われる2人(夫妻)がいらっしゃるのだが、お知らせの文面をどうするか決まらないらしく、夫はまだ躊躇している。

 

 それが実施できたら、私の知人友人で、夫とも親しくしていた方々との食事会を開きたいと考えている。こちらはほぼノンアルなのが寂しいけれど(爆)。

 

 死後の「集い」よりは、元気なうちのお別れ会の方がはるかにいいと、実感している「いま」である。

 

 

公証人役場にて

 今日、公証人役場での手続きが終わった。

 書類は2通。

 「遺言公正証書」は、長年にわたり付き合いのある、夫の「信頼できる友人(男性)」2人が証人となって、署名押印を行ったそうだ。私が招き入れられたのは、この手続きが終わった後のことである。

 私が関わったのは、「死後事務委任契約公正証書」という代物である。こちらの方が、現実的には、はるかに面倒くさい。

 

 夫は葬儀を拒否するのみならず、火葬後の納骨も拒否。骨は散骨せよとのたまう。

 親類縁者への通告と、それに伴う行事も拒んでいるので、私としては、短くとも49日が済むまでは、連絡を控えた方が良さそうである。

 しかし、である。

 いたって平凡で穏やかな関係を築いている兄弟姉妹にも死後すぐに連絡しなかった結果もたらされるであろう否定的リアクションを想像すると、今から憂鬱になる(苦)。

 

 他方で夫は、夫について語り合う「飲み会」は否定しないどころか、開催を希望している。その実務仕事は私に降りかかってくるわけで、実にめんどくさい(苦笑)。

 

 抗がん剤治療を拒否した夫は、痛み止め薬を飲みつつ、食欲を回復させている。顔色も良く、仕事(頭脳労働)も復活してきたようだ。

 

 あとは、なだらかに進行するがんの増殖といつまで折り合いをつけられるかという、ある意味、時間との戦いになる。医師によると、あるとき急に抵抗力が落ち、その後は心身ともに思うように動かなくなるそうな。

 短ければ数カ月、長ければ数年。

 

 たたかいは続く。